わが社の宝物
 昭和初期に“通信販売”
    先端的な経営感覚
    渇チ幸の一枚の写真

末広町の渇チ幸(加藤昌克社長)本社ビルの事務所の壁に、一枚の写真が掲げられている。
加藤氏の父親加藤幸三氏が本町四丁目で営んでいた加幸織物商店の店先を昭和二年に撮影したものである。

当時の町並みには珍しい洋風の看板建築、一階の店舗の前には経営者の幸三氏と三人の従業員が立っている。ショーウィンドウに陳列されているのは鮮やかな織物。
二階の窓には「桐生みやげ」の看板が掛けられ、その横に「桐生物産織物販売」の縦型看板も見える。窓から顔を出している二人の少年のうち左側が、加藤昌克氏である。


「先代の経営感覚は先端を走っていた。当時も桐生土産に織物を買えない状況があり、流通への挑戦をしていたのが加幸織物商店だったのです」と加藤さん。
地元で桐生の織物産品を手に入れることは、今でも和装小物以外は難しいが、当時も生産品が集散地(京都・室町、東京・堀留など繊維商社が集まる地域)を経て、各地に卸されるシステムであったため、“桐生物産織物販売“を掲げることは異例のことだった。

新しい流通を開拓するパイオニアが先代の幸三氏であった。当時のチラシには、「通信販売」の文字もある。“桐生みやげハ桐生織物“のキャッチフレーズの下に店舗のイラストが添えられ、「ハガキデ御注文次第直ニ発送」と通信販売のPRをしている。

「当時、代引き郵便で品物を送っていたことをよく憶えています」と加藤さん。
もともと加藤家は本町四丁目で「角屋」と呼ばれる旅館業を営んでいた。旅館から薬局に転業し、さらに織物商店へと時代の空気を敏感に感じ取った経営を展開した。
産地織物販売は、「全国各地から引き合いがあり、活況を呈していました」と言うほど繁盛したようだが、戦争が始まり企業合同により廃業となった。

加藤昌克氏は戦後、会社を再建し、呉服卸の渇チ幸を創業、現在はバッグ、宝石卸を中心に多角的な事業展開を図っている。昭和五十一年度に完成した末広町商店街の商店街近代化事業では振興組合理事長として、卓越したリーダーシップを発揮した。当所商業部会長としても、数々の革新的な施策を打ち出した加藤氏には、加藤家代々の進取の気性が受け継がれているのである。

この一枚の写真は、加藤家の経営理念を如実に表しているものであり、加藤氏にとって大切な“宝物”なのである。

▽渇チ幸=桐生市末広町4-16

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