まちかどの
ノコギリ屋根

金子織物株式会社

 本町一丁目界隈は、毎月第一土曜日になると天満宮古民具骨董市や買場紗綾市で賑わう。多くの人が行き交う本町通りを桐生川方面に向かうと東久方町。細い路地に入り込むと古き桐生の面影が漂う街だ。
 戦前は織物業者が軒を連ね、市内屈指の工業地帯を形成していた。現在でも繊維関連業者は多く、金谷レース工業、オリジンスタジオなど桐生を象徴するノコギリ屋根工場がある。
 金子織物株式会社(金子明裕社長)のノコギリ屋根工場は、路地裏に足を踏み入れた人に均整のとれた美しい姿を見せてくれる。同社の三つの工場のうちノコギリ屋根は自宅脇の三連と第一工場の四連と二つの建物がある。
 金子織物は、明治初年に金子徳三郎氏により創業された。当時、この近辺は男性用の銘仙を作る工場が多かったといい、同社も銘仙を製織し、多数の外注工場の協力を得ながら基盤を築いた。
 大正末期頃から男子服の洋服化が進んだことから、三代目の正二郎氏は、銘仙の需要減を見越し、広幅織機を導入、女性の和装コート地を織るようになった。昭和に入ると満州・中国・韓国向けの輸出織物を手がけ、事業は大きく海外へと広がっていく。
 第一工場の四連のノコギリ屋根は昭和十一年に建てられている。木造、瓦葺き、面積は五百平方bを超える工場は、桐生織物の全盛期に作られただけに、しっかりとした構造だ。
 戦時中、織物業は一時織機の供出・廃棄により中断したが、戦後はいち早く半木製の手織機により織物業を復活させ、昭和二十五年に金子織物株式会社として再スタートを切った。
 同社は戦前から製織だけでなく生地の後加工も得意であり、特殊技術を多用した婦人服地は高い評価を得ている。

 長い間の試行錯誤により到達した多くの技術を持つが、「フェザーカット織物の製造技術」は群馬県の一社一技術に認定されている。タテ糸を二重、三重にして織り、その一部を特殊刃物でカット立毛させ、ソフトなベルベット紋様を創り出す独特なものである。
 製品はニューヨーク近代美術館をはじめ幾つかの美術館に永久保存されているほか、国内外のコンテストでも多数、入賞、入選している。
 これら世界的な技術や製品が、このノコギリ屋根工場から生み出されており、七十年近くのものづくりの営みが、建物に風格と歴史の厚みを与えている。
 同社では現在、事業効率化の一環として、このノコギリ屋根工場から近接する第二工場に生産機能を集約させる準備を進めており、第一工場のノコギリ屋根は、本町一、二丁目のまちづくりや有鄰館、無鄰館の活動との連携などをにらみながら、賃貸を含めた新たな活用を模索している。

▽金子織物梶i桐生市東久方町2―4―20、рS5―2165)
                                    (第一工場は解体されました)

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